催眠術をかけた相手に「今から腕に焼けた鉄の棒を押し当てますよ」と言っておいて、実際には熱くもなんとも無い、ただのボールペンを腕に押し当ててみる。
すると、本当に火傷の症状が出る事があるらしい。
恐怖症を一瞬で克服したり、性格や趣味嗜好を思い通りに変えたり、理不尽な行動を相手に強制的に取らせたりする事さえできるようだ。
私は催眠術に興味を持った。
思い込みの力だけでこんな奇跡のような現象が起こせるなら、真面目に使えば人間の色々な能力を強化できるのではないだろうか。
私は、催眠術でもって脳の中からあらゆる能力を引き出し、超人となった自分を想像した。
自分の中に眠っている、新しい才能を発見できるかもしれない。
それに、ここではとても話せないような、あんな事やこんな事もできちゃったりするかも。
夢が広がる。
私は財布を握りしめ、催眠術の本を買うため近所の本屋に出かけた。
あれから二日。
とりあえず初心者向けの本は読んだ。
書いてある通りに練習もした。
しかし、本による独学と自主練だけなので、実際の成果のほどは分からない。
本当にこれで催眠術が使えるようになっているのだろうか。
試しにちょっと催眠術を使ってみたい。
私は部屋に妹を呼んだ。
催眠術の実験台になってほしい、と妹に言ってみると、まるで汚物でも見るような蔑んだ目で見られたので、お菓子一袋で買収を試みた。
しぶしぶ、といった感じながらも了承してくれたので助かった。
無事に催眠術がかかったら、お菓子の件は忘れるように暗示をかけてみようと思う。
べつに、お菓子ごときが惜しい訳ではない。
これは実験。
そう、尊い実験なのだ。
許せ、妹よ。
私の正面に、動画録画の状態にしたスマフォをセットした。
催眠術をかけている私を撮影するためである。
妹には後で復習するため、と言っておいた。
これで準備は整った。
椅子に座る妹に、覚えた手順通りに催眠術をかけていく。
やがて妹は体じゅうから一切の力を失い、深く椅子にもたれかかった。
目を閉じて四肢をダラーンと投げ出した姿は、まるで魂の無い人形のようだ。
...やった!!
トランス状態だ。
予想以上に上手く行っているじゃないか。
私は色めき立った。
夢が広がるッ!!
天にも昇るような気持ちだ。
よし、ここからが正念場だ。
「あなたは鳥です」
妹に暗示を与えた。
「巣の中で眠っていたあなたは、ゆっくりと目が覚めていきます」
妹の目が、言葉通りにゆっくりと開かれていく。
「さあ、あなたは完全に目が覚めました。あなたはお腹がペコペコです。エサである虫を食べたくてたまらない。お腹がペコペコだ。虫を食べたくてたまらない...」
これでお菓子を食べる、という発想そのものが妹の中から消え失せた。
まさに計画通りである。
「さあー、エサを獲りに行きましょう。空を飛ばなければ。エサを獲らなければ。見えますか?そうです、あの空です。あの空をジーッと見てみてください」
言いながら部屋の窓を開ける。
「生きなければ。エサを獲らなければ。空を飛ばなければ。今です!さあ!エサを獲りに行きましょう!!」
妹は空の一点を凝視し、腕をブァサッブァサッとはためかせる。
揚力を得て宙に浮かんだ妹は、ピィィ〜〜〜ピョォロロロォォオオ〜〜〜!!!と鳴き声をあげ、空へ向かって猛然と飛び立った。
部屋に突風が吹き荒れ、あらゆるものがメチャメチャに散らかる。
風に巻かれて飛んできた部屋中の物が身体のあちこちにぶつかった気がしたが、興奮しているせいか痛みすら感じない。
妹はあっという間に空の彼方へ飛び去ってしまい、姿はもう見えなかった。
...やった!やったぞ!成功だ!実験は大成功だ!!
床に散らばった有象無象の残骸の中からスマフォを拾い上げる。
少し弄ってみたが、幸いなことに壊れてはいないようだ。
良かった、これが壊れていたら終わりだった。
早く!早く!
気持ちを抑えきれず、スマフォを持って小走りに居間へと向かう。
早く!早く!テレビ!テレビ!
居間にある60インチの大画面テレビとスマフォを一心不乱に接続する。
自然と口元がニヤけるが、自分ではもう止められない。
私はスマフォの動画再生ボタンを押した。
目の前の60インチ大画面テレビに、妹に催眠術をかけている先ほどの私の姿が正面から映し出された。
テレビを通すと、ちょうどこちらに向かって催眠術をかけているように見える。
よし!よし!
私もこの催眠術にかかるのだ。
そうすれば私も空を飛べるはず!!
はやる気持ちをどうにかなだめながら、私は徐々にトランス状態へと入っていった。
...。
......。
.........?
ああ、よく寝た。
えーっと、なんだっけ?
何かするんだったな。
そうだ、エサだ。
エサを食べよう、お腹がペコペコだ。
でも何か忘れてるような...そうだ、空だ。
飛ばなければ、生きなければ。
その場でバタバタと羽ばたいてみたが、しかし私は空を飛べなかった。
あれ?飛べない...少し助走をつけないと。
私は飛ぼうとして3、4歩ほど前に走ったところで、ふと気がついた。
...あれ?なんで走ってるんだっけ?
忘れた。忘れてしまった。何もかも忘れてしまった。
「コ、コ、コ、コ」
「コケーッ!!」
コトン。
卵が産まれた。
可愛いヒヨコが出てくるといいなぁ。
(完)