どうも!選択の魔術師、正宗です。
あなたは勘が良い方ですか?
ちょっと思い出した話をしようかと思います。
昔の私の実話です。
当時、仕事を終えた私はいつも、最寄駅まで電車で帰り、駅からはバイクで家に帰っていました。
駅に着いてみると、その日はほんの少し雨が降ってました。
夜、真っ暗になってしまった駐輪場でヘルメットを被り、手袋を着ける。
雨で濡れるのもイヤだし、早く帰らなきゃな。
そう思いながらバイクのエンジンを掛けたのですが、私はそこで唐突に悩み込んでしまいました。
突然、何に悩んだのかというと、帰宅ルートです。
当時、私が好んでよく使う帰宅ルートは3つありました。
一つは大通り、二つは住宅街、三つは山沿い。
距離的には3つとも大差はないので、私はいつも適当に、その時の気分でどこから帰るかを決めていました。
しかし、その日はなぜか、どこから帰ればいいかどうにも決められなかったんです。
...なんだ?俺は何を悩んでるんだ?雨降ってるし、早く帰りたいのに...。
しかし、どのルートを選んでも間違いのような気がして決められない。
異様な胸騒ぎでモヤモヤするのですが、しかし雨が降ってる中でいつまでもじっとしてるのはツラい。
しばらくその場で悩みに悩んで、私は大通りから帰る事にしました。
そしてその大通りで、私はバイク人生初の事故に見舞われてしまったのです。
私の前方を走る車が死角となり、対向車線側の車が私のバイクの存在に気づかないまま右折。
前を走る車の影から突然右折してきた対向車が、私のバイクのヘッドライトに照らされた瞬間を、雨粒の反射まで含めて今でも鮮明に覚えています。
ヤバい!と思った私は急ブレーキをかけたものの、タイヤはロック。
雨で濡れた路面をスリップしてしまい、そのまま右折してきた対向車の後部に突っ込んでしまいました。
こんな状況でした突っ込んだのが車の後部だったのが不幸中の幸いでした。
体当たりの正面衝突とならずに済んだのです。
バイクから投げ出され豪快に吹っ飛んだものの、私は運良くかすり傷一つ負っていませんでした。
投げ出された先も、私が走行していた車線側の路肩だったので後続車や対向車にも轢かれずに済みました。
カウルが大破しフロントフォークとハンドルがねじ曲がったバイクを、私は自分で起こし、自力で道端に運びました。
その後、後続車の親切なおじさんが事故相手の確保(右折後そのまま走って行ってたんスよ...)、警察や救急車の手配等をしてくれて、事故は一件落着となりました。
ボロボロになったバイクを見てその時は心底悲しかったのですが、ともかく怪我も後遺症もなく無事で何よりだったと思います。
あの時の親切なおじさん、本当にありがとう✨
後になって思い返してみれば、あの日に限って帰り道のルートがどうにも決められなかったのは、私がこの事故を直感的に予見していたからなのだと思います。
しかし、そうは言っても、未来というのは本当にままならないものですよね。
仮にあの時の予見が本物だったとしても、あの事故のあった日のことを考えると、私は今でも思うんですよ。
・結局は事故に遭ったのだから、予見などなんの意味もなかったのでは?
・そもそも、変に悩まずにさっさと帰っていれば、あのタイミングで事故に遭うことは無かったのでは?
・いや、あの無駄に悩む時間があったからこそ、車への正面衝突が避けられたのでは?
・でも、他のルートで帰ってれば、やはり事故には遭わなかったのでは?
・どのルートを選んでも事故に遭うこと自体は確定していたのかもしれない。だからあの日だけは、どの帰宅ルートも間違いのような気がしていたのでは?
・大通りを選んだからこそ、後続車の親切なおじさんが助けてくれたのかもしれない。山沿いや住宅街は人通りも車通りも少ないから、そこで事故を起こしていたら、誰からも助けてもらえなかったのでは?
直感が働いたとしても、その直感が良いことを示しているのか、悪いことを示しているのか。
直感の読み取り方が正しいのか、間違っているのか。
それは事前には分からない。
終わってからなら分かるかもしれないけど、もしかしたら終わってからでも分からないかもしれない。
もしかしたら、直感に耳を傾けること自体が、悪い状況を引き起こす要因の一つに折り込まれているのかもしれない。
しかし、もしそうだったとしても、そのことに気付く術はどこにもない。
直感のジレンマ。
あの時、異様な胸騒ぎがあったからこそ感じるジレンマなんだけど、これがなかったら、もしかしたら私は大事故の被害者になっていたのかもしれない。
事実、私は事故には遭ったものの無傷で済んだ。
そのための直感だったのだろう、と私は不確かにそう思っている。