そんな装備で大丈夫か?
UR確定ガチャを頼む!!
『スピード離職』という言葉がふと目に付いたんですよ。
最初はスピード離婚と見間違えてスルーしました。
ちょっと調べてみたら、勤務初日で退職を決意した新入社員がどこかの企業にいたようです。
理由は『配属ガチャが失敗だったから』とのこと。
このような新入社員が世間では多いらしい。
どう思います?
■退職自体はまったく構わない
私は退職自体が悪いことだとは思ってないんですよ。
激務重労働を強いられて過労死してしまったり、自殺に追い込まれてしまったり、死に至らないまでも心身を病んでしまって二度と健康な自分を取り戻せなくなるくらいなら、仕事なんぞ勝手にバックレてでも辞めてしまって構わないと思ってます。
まぁ、そこまで切羽詰まってしまった人は、もはや『新入社員』のレベルではない場合が殆どだとは思います。
ならば新入社員ならすぐには辞めないものなのかというと実はそんなことはなく、ちょっと仕事に触っただけであっという間に辞めてしまう新人は昔からいくらでもいた訳です。
“五月病”という言葉が世に浸透してる時点で、推して知るべしです。
■雇用と教育のコストはタダではない
企業側としてはどうか?
人を一人雇用するとなると、10数種類に及ぶ各種書類の確認、労働保険・社会保険への新規加入手続き、官公署への書類提出、などの面倒な手続きがわんさかと必要になります。
入社した新人がすぐ辞めたとなると、これらの手間が全て全ロスとなる訳ですね。
どこの企業でも、大抵は新人を雇い入れた時点でこれらの書類捌きのほとんどは終えているハズですので、欠員補充ということになれば、また新たに一から書類捌きをやらなきゃならなくなる...と思うとこれは溜息が出ますね。
しかし、まだここで企業側には失わずに済むものがあります。
それは新人教育に掛かるコストです。
入社したばかりの何もできない新人を、周囲の皆に頼られる達人へと変身させるのは教育です。
ある一定のレベルまで育てば、大抵の人は自力で成長できるようになります。
しかしそこに至るまでは、教育を担当する人間が、相手の資質・性格・素養・気概などを見ながら適切なレベルの課題を与え、課題に成功した場合は自己効力感と労いの意と新たなステップを与え、失敗した場合は軌道修正のフィードバックと学びと新たなモチベーションを与え、手間暇と頭とコミュ力と自分の業務時間を犠牲にして新人を育てる必要があるのです。
新人教育は書類捌きほどルーティン化できません。
極めてパーソナライズされた対応が必要となるのです。
言うまでもなく、新人の教育に一番手こずるのは、入社したての一番最初の時点となります。
一番最初の何もできないところで最も手がかかり、そこから成功と失敗を繰り返しながら徐々に成長していき、やがて新人は新人を卒業して全く手がかからなくなります。
なので、新人が段々育ってきて『手がかからなくなってきたな』という手応えが出たあたりで辞められてしまうと、今度は教育担当者が教育に費やした労力と時間が全ロスとなる訳です。
ということは、ハンパに勤めてすぐに辞めてしまうくらいなら、むしろ勤務初日で辞めてくれた方が企業側にとっても損が少なくて済むんですよ。
もちろん、辞めずにそのまま成長し続け、長い間S級の戦力として活躍してくれるのが最高にベストであることは自明の理です。
ところで、ですが...
■なぜ、あっさりと辞めてしまう新人はいなくならないのか?
一生に一度しかない新卒カードを使い、それなりにキッチリと就職活動をして入社したハズの企業を、なぜこんなにもあっさりと辞めてしまえるのか?
外野から見れば「あぁ、もったいないな〜。もうちょっとでいいから頑張ってみればいいのに」という感想しか出てきませんよね。
確かにもったいなくはあるんですが、実はこの『新卒新入社員がすぐに仕事を辞めてしまう』という行動は、人間の本能に根差したある種の仕様が原因の一つなんですよ。
どういうことか?
お話しましょう。
記事冒頭で、激務重労働が原因で過労死や自殺に追い込まれてしまう人のことを対比の対象として挙げました。
世の中には不幸にも、実際にこのような形で死を迎えてしまう人が存在します。
たまにニュースなどで大きく取り上げられた時などは、『辞めりゃいいのに。なんで死ぬまで働こうとすんの?』という声が必ず挙がりますよね。
その声に対しては『そんなまともな判断力はとっくの昔に奪われてるから』という返答が出てきます。
これも確かに理由の一つではあるかもしれませんが、実はもっと根が深いところにある根本的な原因は“危険に対する本能的な恐れ”なんですね、コレ。
つまり、“危険な状況に陥ることを本能的に恐れた結果、死ぬまで働くことになってしまった”ということです。
『...ん?死ぬまで追い込まれてしまうんだから、仕事を続ける方が危険なんじゃないの?』と思ったのなら、あなたの感性は健康です。
ところが人間の本能はそうは捉えないんですね。
ならば、人間の本能はどのように危険と安全を見分けるのか?と言うと、
既知の状況=安全、未知の状況=危険
と捉えるんですよ。
人間は本能的に、どれだけ過酷であっても馴染みのある現状は安全だと捉えます。
そして、もしかしたら今の過酷な状況が改善されるかもしれなくても、未知の状況に飛び込むことは危険だと捉えるんです。
なぜなら、コンフォートゾーン(心理的安全領域)の死守は人間の生存戦略のひとつだからです。
これは原始時代から続く、人間の本能に深く組み込まれた反応です。
身の回りに危険が満ち溢れていた原始時代の人間にとっては、かろうじて餓死しないだけの食料が安全確実に調達できるのなら、命の危険を犯してまで新天地を切り拓くような行動は避ける方が懸命だったんですね。
なぜなら、既知の状況=安全で、未知の状況=危険だからです。
また、目の前の風景がいつも通り(=既知の状況)なら安心して過ごすことができますが、もし何かの違和感があったら(=未知の状況)、それを即座に危険だと判断しなければ、途端に命に関わりました。
例えば、すぐそばの薮の陰から獰猛そうな獣の唸り声が聞こえてきた場合などです。
原始時代の人間は、そのような時に即座に危険を察知し(現代の人間でもですが)、一瞬で戦うか逃げるかの判断を下し、下したその判断に全力を尽くさなければ生き残れませんでした。
未知の状況とは、人間にとって本来それぐらい恐ろしいものなんですね。
現代であっても人間のこのような本能的反応はそれほど変わりません。
例えば、旦那さんから毎日激しいDVを受けている女性でも、なかなか離婚には踏み切れません。
絶対離婚した方が良い、と自分で思っていてもです。
なぜなら、DVを受け続けている今の毎日は馴染みのある日常(=既知の状況)だから『安全』であり、離婚したらその後どのように過ごせば良いのかまるで不明な世界(=未知の状況)は『危険』だからです。
仕事が原因で心身ともにボロボロになり、その結果死に追い込まれてしまった人も同じ構図です。
仕事を辞めて無職・無収入になり、社会のレールから外れてしまったように感じる世界(=未知の状況)は危険で恐ろしく、そんな恐ろしい目に遭うくらいなら、どれだけ過酷であっても馴染みのある日常(=既知の状況)を選んだ方が安全だ、と本能で判断してしまったのです。
死に至るまでは追い込まれてなくとも、仕事に対する愚痴や不満を毎日延々と垂れ流しながらも退職だけは絶対にしない、というような人も全く同じ構図です。
毎日止めどなく不満が湧いては来ても、実際に退職して未知の世界に飛び込むのはやはり恐ろしいのですね。
これらは全て、人間の本能的反応による生存戦略が原因で起こっている現象なんです。
ならば、大変な思いで就職活動をしてせっかく入社した企業を、なぜ新社会人はあっさりと辞められるのか?
ここまで読んだあなたなら、もうお分かりかもしれませんね。
それは、新社会人のコンフォートゾーンが『働いてなかった自分』『学生だった頃の自分』の側にあるからです。
『皆が就職するから』という流れに乗って自分も社会に出てみたものの、『この会社でずっと働き続ける自分』という未知の状況が恐ろしくなり、安心できるコンフォートゾーンの側に戻ってしまったんですね。
五月病にかかるのが新社会人だけなのは、これが理由です。
このような原因のため、企業側に落ち度らしい落ち度がなかったとしても、すぐに辞めてしまう新社会人は今後も一定数出続けてしまいます。
企業側としては、もし新社会人が辞めてしまった理由が聞けたとしても、その理由が参考に値するかどうかの精査は行うべきでしょう。
辞めた新社会人本人も、自分が理性的に考えてると思い込んでいるだけで、単に本能的反応に従っただけのパターンが少なくないからです。
■結論:配属ガチャ失敗でスピード離職は是か非か?
※便宜上、件の『配属ガチャ失敗でスピード離職をした新社会人』本人、または『ほぼ同じ状況にある人』に向けて語っている、という体で書いています。文中に“あなた”と書かれていても、それは殆どの場合、この記事を読んでいるあなたそのものを指してはいない、ということをご了承ください。
『配属ガチャ失敗でスピード離職』←この文章は2つの内容の組み合わせで出来ています。
たまたま話題になった新社会人がこのような状況だったので、そのまま世間に広がってしまったんですね。
内容を分解すると、
1、新社会人がスピード離職をした
2、新社会人の離職理由は『配属ガチャ失敗』というものだった
となります。
問いの対象を明確にするため、この2つのそれぞれに対しての是か否を述べようと思います。
結論です。
問1、新社会人がスピード離職をした→『是』
問2、新社会人の離職理由は『配属ガチャ失敗』というものだった→『非』
となります。
以下、詳細です。
■解1、新社会人がスピード離職をした→『是』
新社会人がスピード離職をしたとしても問題ありません。
なぜなら、あなたの人生の責任はあなたにしか取れないからです。
記事中で書いた通り、入ったばかりの会社をすぐ辞めると言えば、周りから「もったいない」とか「もうちょっと頑張ってみたら」などの意見があちこちから飛んでくるかもしれませんが、これらのセリフを言った誰一人として、例えば親であったとしても、あなたの人生に対して何の責任も取れないし、何の保証もできないのです。
もし、辞めずに会社に残って激しく後悔する結果になったとしても、あなたの上司や会社はあなたの人生に対して何の責任も取れないし、何の保証もできません。
業務が理由であなたが心身を病んでしまったり、(本当にあってはならないことですが)万が一にも亡くなるようなことになってしまったら、労災が降りたり賠償金が支払われることになるでしょう。
しかし、例え多額のお金が支払われたとしても、それは会社が責任を取ったことにはならないのです。
個人的体験談ですが、私は昔、ちょっとだけやってたバイトが原因で腰椎の椎間板ヘルニアになってしまいました。
そのため、一生を腰痛と共に過ごすことになったんですよ。
では、当時のバイト先の責任者や会社が私に対して何か責任が取れるのか?と言うと、何も取れないんですね。
擦り潰れてしまった私の腰の軟骨は一生元に戻りません。
「あの時、変に頑張らずにさっさと辞めておけば良かったな...」という、多分一生続くであろうちょっとした後悔も、私が取った私の人生に対する責任の一つです。
あなたが会社を辞めた後、あなたは窮地に陥ってしまうかもしれません。
前職をなぜこんな短期間で辞めたのか?と詰められまくって面接で困り果てるかもしれません。
どうにか入った新しい会社は以前よりも桁違いに酷い会社で、今になって以前の会社が実は優良企業の側だった、ということに気がつくかもしれません。
もちろん、その責任は全てあなたが取ることになります。
昔の同期や友人が社会で活躍してる姿を見て「やっぱり辞めるんじゃなかった」と後悔することになっても、全てあなたの責任です。
「あの時辞めて本当に良かった」と自分の判断に満足できる生活を得られるかもしれないのも、あなたが自分の人生に対して責任を取った結果です。
卒業した学校や、あなたを推薦してくれた恩師、あなたの先輩や同期、あなたに続くかもしれなかった後輩、その他にも色々な人に迷惑をかけることになるかもしれませんね。
もしかしたら、今後はもう誰も手を貸してくれなくなるかもしれません。
非道な真似をすれば、当然報いも受けるでしょう。(※世話になった人には出来る限り感謝の意だけは伝えるようにしましょう)
だとしても、あなたの人生の責任はあなたにしか取れないのです。
全てあなたの責任になります。
誰もあなたの人生の保証はできませんし、責任も取れません。
だから、新社会人がスピード離職をしたとしても何も問題ないのです。
■解2、新社会人の離職理由は『配属ガチャ失敗』というものだった→『非』
離職理由が『配属ガチャ失敗』というのは問題です。
何が問題なのかというと、人生に『ガチャ思想』を持ち込んでいるところです。
どうしてこれが問題なのかというと、ガチャは今後も、あなたの生涯において死ぬまで無限に湧き続けるからです。
そして、無限に湧き続けるガチャの全てで『成功』を引き続けることは不可能だからです。
・負け確イベントの人生
人生にガチャ思想を持ち込んでしまうと、仮に配属ガチャが成功したとしても、上司ガチャ、先輩ガチャ、同僚ガチャ、後輩ガチャ、昇進ガチャ、昇給ガチャ、異動ガチャ、転勤ガチャ、業務内容ガチャ、売上ガチャ、取引先ガチャ、顧客ガチャ、競合ガチャ、貿易ガチャ、プロダクトサイクルガチャ、産業構造ガチャ、買収ガチャ、倒産ガチャ、時代ガチャ、国力ガチャ、などの全てを『運』というパラメーター1つのみを武器に勝ち続けなければならなくなります。
勝てそうですか?
それ以外にも、隣の席の奴ガチャとかロッカーの位置ガチャとか朝礼ガチャとか支給備品ガチャとか、トイレガチャとか空調ガチャとか食事ガチャとか休憩ガチャとか日報ガチャとか通勤ガチャとか、細かいけれど毎日気になる部分も全て運だけで勝負することになります。
どうです?運だけで全部勝てそうでしょうか?
職場以外の生活場面も全部ガチャで運勝負です。
隣人ガチャ、民度ガチャ、自治体ガチャ、治安ガチャ、害獣ガチャ、地域ガチャ、風土ガチャ、方言ガチャ、伝統ガチャ、歴史ガチャ、情報ガチャ、クチコミガチャ、噂ガチャ、コミュニティガチャ、インフラガチャ、買い物ガチャ、店舗ガチャ、流通網ガチャ、ロジスティクスガチャ、食べ物ガチャ、病気ガチャ、病院ガチャ、医師ガチャ、地形ガチャ、災害ガチャ、人口ガチャ、男女比率ガチャ、知人ガチャ、友人ガチャ、恋愛ガチャ、結婚ガチャ、etc、etc...
まだまだ、こんなものでは済まないくらい大量のガチャ勝負が、人生の最後に『臨終ガチャ』を引くまで続きます。
ちょっと質問してみますが、誰なら全てのガチャで『成功』を引き続けられると思いますか?
答えは簡単。
『誰もいない』です。
キリストであっても無理でした。(磔の刑に処されたしアンチも存在するので)
人生のガチャ勝負に勝ち続けることは不可能ということです。
自分の人生にガチャ思想を持ち込んでしまうと、あなたの人生は負け確イベント祭りとなってしまうんですね。
ではどうすればいいのか?
これも簡単です。
ガチャ思想を捨てればいい。
害しかないので。
損しかしないので。
なぜ、損害しかないのにあなたはガチャ思想などというものを自分の人生に持ち込んでしまったのか?
それは、あなたがいつの間にか誰かにガチャ思想を刷り込まれてしまった『被害者』だからです。
あなたのせいではありません。
・ガチャ思想を刷り込まれてしまった被害者
このとんでもない害悪思想を誰が流布したんでしょうね。
少なくとも、ガチャ思想が正当である根拠としてよく名前が出される、ひろゆき氏やマイケル・サンデル氏ではありません。
ひろゆき氏は『間違った場所で努力しても全くの無駄。だから、頭を使って今の世の中で有利な立ち位置がどこなのか?を全力で見つけるべき』と言っていました。
サンデル氏は『成功には才能が大いに関与する。同じシューズを履き、同じトラックで、同じスタートラインに立ち、同じタイミングで走り出したとしても、才能のある者は他者に有意な差をつける。そしてその才能は生まれ持った運で決まる』と言っていました。
これ、分かりづらいですが、『社会的に成功と呼べるレベルまで突出するには才能が大きくものを言う』と言ってるだけで、『才能がなければ努力をしても成長しない』などとはひとことも言ってないんですね。(才能がない人もちゃんと走り出してます。立ち止まってません)
ところがガチャ思想を刷り込まれてしまった被害者は、『全ては運。才能ガチャでハズレを引いたら努力しても無駄』と、努力と努力の結果得られる自己の成長自体を放棄してしまいます。
努力と成長を生贄に差し出し、引き換えに負け確の人生を手に入れる。
それがガチャ思想を刷り込まれてしまった被害者の辿る道となります。
この章の冒頭、前置きで『文中に“あなた”と書かれていても、それは殆どの場合、この記事を読んでいるあなたそのものを指してはいない』と書きましたが、ちょっとだけ今これを読んでるあなたに問わせてください。
もしここまで読んできて、一度でもあなたが『努力できること自体も才能。努力できるかどうかは、努力の才能ガチャで決まる』と反応(自分で考えていないハズです。刷り込みなので)したのなら、あなたもガチャ思想を刷り込まれてしまった被害者である可能性が高いです。
もしそうだとしても、それはあなたの責任ではありません。
知らない間に忍び寄ってくるものを防ぐことは、どんな人であっても至難の業だからです。
匂いのしない毒ガスをノーヒントで避けられる人がどれくらいいるでしょうか?
しかし、どのような過程であったにせよ、体内に取り込まれてしまった毒ガスは、確実にあなたに多大な損害をもたらします。
・ガチャ思想はクビだ!その1:成長を捨てない
ではどうすれば良いのか?
まず、自分の成長を捨ててはいけないんですね。
才能がなくて成功に繋がらなかったとしてもです。
なぜなら、成功に届かない成長×成功に届かない成長=成功、となる例が世の中に溢れてるからです。
現代において分かりやすい例としては、
・カリグラフィー×コンピューター=Apple
じゃないでしょうか?
Appleとは、iPhoneやMacを作ってる会社です。
Apple創業者のスティーブ・ジョブズは、カリグラフィーの成功者でもなければコンピューターの成功者でもありませんでしたが、両者を掛け合わせることで時価総額世界トップ3以内常連のスーパー優良大企業を作り上げました。(余談ですが、ジョブズは大学を中退してます。さらに生みの親も育ての親も貧乏です)
これも聞いたことあると思いますが、どうでしょう?
・どこにでもあるチョコレート×どこにでもあるキャンディー=お口でとろけて、手にとけない!
M&M'Sですね。
MARSという会社の商品です。
世界的に有名ですが、実は家族経営の株式非公開企業です。
その他の身近な成功例も、YouTube、Instagram、TikTokなどでたくさん見ることができます。
それ単体では見るべきところもないありふれたスキル、スキルですらない日常的行為、日常では全く意味のない無駄な行為、などと動画を組み合わせただけで、信じられないくらい多くの支持を集めているYouTuberやインフルエンサーがたくさんいますよね。
この『何の変哲もないもの×何の変哲もないもの=全く新しい価値あるもの』というフレームワークは、ジェームス・ヤングという人によって、1940年にはすでに確立されていました。
『アイデアのつくり方(Amazon)』という本に、その詳細な方法が書かれています。
新しいアイデアの生み出し方が書かれたこの本は、広告制作、新商品開発、企画、実業家、クリエイター、発明家、学者、芸術家、など様々な人達に知的発想法の古典的名著として、現代まで80年以上にわたって読み継がれてきました。
このように、凡スキルと凡スキルを組み合わせると、強力なパッシブスキルとなり得ることが多々あるんですね。
ここで重要なことは、言うまでもなく『凡スキルが育っていること』です。
そのままでは使い所のない凡スキルでも、育ってなければ強力パッシブスキルを獲得することはできません。
成長を捨ててはいけない理由がコレです。
・ガチャ思想はクビだ!その2:努力を捨てない
そして、努力を捨ててはいけません。
これはもちろん、さまざまな凡スキルを獲得するためです。
では、努力とは何か?
努力を構成している要素は『忍耐力』と『集中力』です。
努力とは、『忍耐力』と『集中力』の組み合わせで出来ているんですね。
よろしいでしょうか?
そして実は、忍耐力と集中力は、筋肉と同じ要領で伸ばすことができるんですよ。
そうです、筋トレと同じです。
適切に休みを取りながら、継続して長期的に少しづつ限界を広げていく。
筋肉と同様、このやり方で忍耐力と集中力は伸ばすことができますし、このやり方以外で伸ばすことはできません。
年に一回、一日だけ筋トレを頑張っても筋肉は成長しませんし、一日二十四時間、毎日寝ないで一年中筋トレをしていても、身体自体が耐えられなくなるので筋肉も成長することができません。
適切に休みを取ること。
継続して長期的に少しづつ限界を広げていくこと。
これが大事です。
そしてこれ以外には何もありません。
忍耐力と集中力自体に才能はあるのか?と言うと、有ります。
これも筋肉と同じです。
いくら筋トレを頑張ったところで、それで黒人アスリート並みの肉体に仕上がるかというと、そこには生まれ持った才能の差が出てきます。
しかし、筋トレをしているのに筋肉自体が付かない、などということはありえないんですね。
腕立て伏せが一回もできないのは才能が無いからではなく、才能が無いと思い込んで腕の筋肉を今まで一度も鍛えたことがないからです。
まともな腕立て伏せが一回もできないなら、膝をついて負荷を軽くして、角度の浅い腕立て伏せを一回やるところから始めるしかありません。
そこからであっても、適切に休みを取り、継続して長期的に少しづつ限界を広げていけば、筋肉は必ず成長します。
忍耐力と集中力もコレと同じです。
『努力する能力』は鍛えることができる、という訳です。
そして努力する能力さえあれば、さまざまな凡スキルが手に入ります。
もしかしたら凡スキルだけでなく、それ単体で抜群に強力な『成功スキル』を獲得することができるかもしれません。
サンデル氏の話を思い出して欲しいのですが、才能があるかどうかは『実際に走り出す』という努力をしてからじゃないと分かりませんでしたよね?
才能がある方も立ち止まってませんでした。
努力をしてからじゃないと才能の有無も分からない、ということです。
努力を捨ててはいけない理由がコレです。
・ガチャ思想はクビだ!その3:『ガチャ』という言葉を自分の人生に当てはめて使わない
そして最後に、『ガチャ』という言葉を自分の人生に当てはめて使わないことです。
『言葉を使わないだけで何か変わるの?』と思うかもしれませんが、言葉の問題を軽く考えてはいけません。
なぜなら、『あなたの思考と行動の方向性は、言葉によって定義・制御されている』からです。
もし私が「最近のアマゾンについて何かコメントありますか?感じたこととか思ったことがあれば何でも教えてください」と質問したら、あなたは今さっき『アイデアのつくり方』と『M&M'S』のページを見てみたことや、買おうと思っていた本が運良くKindleのセールで安く手に入ったことや、怪しい中華製品が大量に増えたので日用品を買う時は気をつけてることなどを話してくれて、私がこのように言い出すまで南米にある世界最大の熱帯雨林のことは思い出さなかったかもしれません。
なぜ、あなたは『アマゾン』と聞いてAmazon.co.jpのことを話してしまったのか?
答えは『アマゾンという言葉があなたの思考と行動を方向づけたから』です。
人生にガチャと言う言葉を当てはめると、同じことがあなたの人生でも起こります。
ガチャとは『運のみで決まるもの』、『成功か失敗のどちらか二つに一つしかないもの』という意味であなたの意識に定着しているハズです。
したがって、ガチャという言葉を人生に当てはめてしまうと、人生は運だけで勝負するものとなり、努力と成長は失われ、結果的に必ず失敗する負け確の人生に向かって進むよう、知らず知らずのうちに矯正されてしまうこととなります。
はい、これはまさしく思想なんですね。
私が今まで『ガチャ思想』と強調して言っていたのは、本当にこれが思想そのものだからです。
そしてこの思想はあなたに損害しかもたらしません。
『ガチャ』という言葉を自分の人生に当てはめて使ってはいけない理由がコレです。
■まとめ
・ガチャ思想はあなたの人生に損害しかもたらさないので今すぐクビにしましょう。
『ちょっと』『遊びで』『軽く』『使ってみただけ』であっても、言葉はあなたの思考と行動を方向づけます。
そのままガチャ思想の寄生を許していると、あなたの人生が今後ますます失敗続きとなってしまうことを保証します。
ガチャ思想はクビ!
簡単ですね。
・スピード退職することを気に病む必要はありません。
なぜなら、あなた以外の誰一人としてあなたの人生を保証することも責任を取ることもできないからです。
スピード退職をしても、しなくても。
その結果得られたのが利益でも、損失でも。
全部あなたが背負うことになります。
全てあなたの責任となります。
だから、あなたがスピード退職をしても何も問題ありません。
■おねがい
もし、あなたの周りに『コイツ、このままだと絶対ヤバいだろ...』と思えるような人がいた場合、お願いがあります。
『ヤバい』の内容は、記事中で例に挙げた『過労で明らかに鬱になってるのにそれでも仕事に行こうとしてる人』や、『尋常ではないDVを毎日受けている人』などです。
もしそんな人があなたの周りにいた場合、その人に『今の環境を捨てたとしても、その後も平穏無事に過ごせるイメージが湧くような話』をしてあげてください。
イメージが湧く、というところが重要です。
一番いいのは体験談です。
あなた自身が身近にあった例を語れないとしたら、YouTube、ブログ、本などが有効です。
似たような環境から脱した人の体験談があれば、それを紹介してあげてください。
あなたのちょっとした気遣いでその人は大いに助かるかもしれません。
なにとぞ。